安倍内閣の成長重視に対し、民主党をはじめ野党は格差是正を掲げ国会で政策論争を挑んでいる。戦後いつの時代も所得格差の存在は問題になったが、しかし今日ほど鮮明な形で格差社会が世間の注目を浴びたのは初めてであろう。
その大きな原因は、バブル崩壊後の景気低迷を受け、賃金抑制のために企業が正規雇用からパートや派遣社員などの非正規雇用に切り替えたことにある。またこの過程で社会保険料の重荷を、雇用形態を工夫することにより他に転嫁したこともあげられよう。ロストジェネレーションと称される低所得にあえぐ所得階層が、格差の拡大に貢献していることは疑いもない。
かくして根本的な格差是正は正規雇用の拡大や最低賃金水準の見直しなどに求められるべきだが、しかし今日税制面の措置にも期待が高まっている。税制には再分配機能が存在することは、よく知られている。とりわけ所得税は、その累進税率構造により高所得者により重い負担を課し、また低所得層の負担をより低く抑えたり所得控除により非課税にしたりして、所得再分配に効果を挙げている。かかる観点から、今後所得税の最高税率五〇%(所得税と住民税の合計)の引き上げが、税制改革の一つの焦点となるだろう。しかしこれで是正される所得格差は、金持ちの税負担を重くするという一種の心理効果はあるが、最高税率の適用を受ける納税者数が一〇数万人とごく限られていることから、多くを望めないであろう。本当の金持ちは、ここに課税されるような形で所得を残していない。
税制を格差是正に活用するという狙いからは、もっと有効な手段が二つある。その一つが、利子・配当・株式譲渡益などの金融所得の税負担を強化することである。現在、配当・株式譲渡益は、わずか一〇%の分離課税ですんでいる。真の高所得者はこの種の金融所得で保有しているわけだから、その税負担軽減は社会的な不公平そのものであるといってよい。株式市場の活性化のために導入された優遇措置が来年度で期限切れになるから、少なくとも元の二〇%の税率に戻すべきである。そしてもう一つは、相続税などの資産課税の強化を通じる資産再分配である。相続税の場合、死亡件数一〇〇のうち、納税義務の発生するのは、わずかに四・二件である。基礎控除を引き下げ、せめてこの倍くらいの納税者の割合にする必要がある。この他にも所得税を税額控除に改めることなどあるが、所詮課税最低限以下の低所得者には、税制を用いて格差是正をすることは不可能である。税制に過大な期待をかけるのは誤りである。このような低所得者には、歳出面から所得支払のルートを活用するしか方法はない。
ホッブスとロックは世界で初めて抽象的人間モデルをつくった人である。二人を比較すると、唯一点だけにおいて違う。
ホッブスは、人間から社会的なすべてを捨象し、人間を自己保存力のみ持つ存在とした。したがって、人間は、現在だけでなく、将来もまた現在の如く生存し続けることを欲するであろう。世の中に有用なものは有限であるから、他の誰かが少しでも取れば、自分の取り分はそれだけ少なくなる。故に、有限の物質をめぐって、すべての人は、他のすべての人の敵となる。一人は他の一人の敵である、とはこのことをいう。
ロックは、唯一点だけを除いてホッブスと違うといったが、それは労働の導入である。このことによって、モデルは根本的に違うものになった。ホッブスにおいては、人間の外にある利用可能なものは有限であったが、ロックにおいては、労働によっていくらでも増やすことができる。
では、労働によって増やしたものは、誰に属するか。それは労働を投入した人に属する。ここがポイント!
かくて、ロックの諸説によって、私有財産の起源も説明されるようになった。ロックは政治学の元祖だけでなく、経済学の元祖にもなったのである。アダム・スミスの労働価値説は、ロックのモデルがなければ創出することはできなかったであろう。
のちにナポレオンが軍隊を率いてヨーロッパを征服したのも、私有財産の神聖さが根本にある。これはナポレオン法典の根本的前提であり、資本主義の宣言を兼ねたものであった。このイデオロギーも根源まで遡れば、ロックにまで遡る。
ロックは一七世紀に生きた人ではあるが、一八世紀を支配した人物であるといわれる。一八世紀最大の出来事は、アメリカの独立とフランス革命であるが、両方ともロックの思想による。ロックが著述を発表した時、世の人々は社会契約説による国家など一つもないと批判したが、その後、アメリカ合衆国とナポレオン帝国という社会契約説による国家が二つも生まれ、さらにそれからは激増したではないか。
アメリカ合衆国も独立後しばらくの間は、デモクラシーという単語を一言も使わず、すべて共和国で統一している。フランス帝国の皇帝ナポレオンも、共和国皇帝と名乗っていた。
ここで注意すべきことは、共和国の意味である。共和国が君主のない国であるという理解は中国の古典による(「史記・周本記」周の王が追放されて協議制の政治が行われた)。一方、西洋での共和国は、君主のあるなしとは関係ない。故にこそ、アメリカ独立の直後には、ワシントンを“王様”にする運動も強かったし、ナポレオンは実際に共和国皇帝にもなっている。
いずれも、社会契約説からすれば、少しもおかしいことはない。現に、初代ローマ皇帝カエサルも、王になるとローマ市民に暗殺されるのではないかと恐れ、王より位の低い皇帝にあえてなったに過ぎないのである。
時が経つに従って、しだいに“王”より皇帝の方が偉くなってしまった(ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝の頃から)。例えば、アメリカ大統領(President of the United States of America)や日本の征夷大将軍を参照せよ。アメリカの大統領も必ず「 of the United States 」を付け加えなければ、知事といずれが偉いのかわからなかったのである。
ワシントンは“王”に推薦された時、これを断った。それなら仕方がないので、ジェネラル・ガバナーと呼ぼうとしたら、ワシントンはこれも断った。「単にプレジデントだけでいい」と。
その上、大統領選挙もむちゃくちゃに複雑化して、候補者の本質を誰にも見抜かせるようにした。その後、大統領が三選することを禁止するように憲法も改正した(例外として、F・ルーズベルトの四選があるが)。
日本の征夷大将軍も初めは令外官であり、地位も低かったが、その後だんだんと偉くなって、徳川時代には正二位や従一位の極官にまで出世したのである。アメリカ大統領もこのようなものだと考えていい。初めは、それほど偉い感じはなかったけれども、南北戦争以後、急速にその地位が高まって、今や知事のガバナーとは比較にならない地位を獲得したのである。
このように、ロックは政治学の元祖となっただけでなく、重商主義(mercantilism)の背景の下で、古典派経済学のマンデビル、アダム・スミスの先蹤になった。
当時の世の中は、資本主義以前の商業組合や中世的産業組合(ギルド)が至るところにはびこっていた。しかし、英国古典派はギルドを一切無視して、ロック的、抽象的人間としての資本家と労働者をつくりあげた。そして、彼らを交渉させた上で雇い入れ、労働的生産物を売って利潤を上げるというモデルを構築したのである。かくて古典派経済学に理論のモデルができるが、このモデルはロックのモデルをサンプルにしている。
さて、ロックの政治理論はどのようなものであったか。
自然的人間が集まって国家社会をつくる場合、統治者は如何に選ばれるべきであるか。
ロックは私有財産を認めたが、特に、国家の成立よりも先に私有財産を認めたことに注意する必要がある。つまり、私有財産制度は国家よりも優先する。すべての人は勤勉になり、私有財産を拡大することに専心するだろう。貨幣が導入されると、私有財産の拡大は途方もなく大きなものにもなりうる。そこで、「あいつは、あんなに大きな財産をつくっている」と妬んで、これを奪う者が現れるかもしれない。だから、そのような者を取り締まるために、国家権力が必要になってくる。
ロックは主権という概念をまだ出していなかったが、その萌芽はすでにあった。国家権力の中で主要なものとして立法権があるが、これは法律をつくる権力である。それまで、法律は権力がつくるものではなく、慣習の中から発見されるべきものとされてきた。もしそうであるとすれば、主権者といえども、やはり過去の慣習に支配され、伝統主義的にならざるをえない。しかし、ロックモデルにおいては、主権者に法律をつくる能力を与えることによって、国家権力は途方もなく強いものとなる。
国家権力を怪獣にたとえたのも、この理由による。無秩序の怪獣ビヒモスは、怪獣リバイアサン(国家権力)でないと退治ができないが、この怪獣は強大な力を持っている。そこで、国家権力という怪獣から国民を守るために、憲法という歯止めが必要になった。
このロックモデルから、必然的に、立法府が権力の歯止めとなる法律をつくるための議会になる淵源がみられるのである。
ロックがつくった人間モデルは、そもそも封建制を完全に突き壊すきっかけになったことにも注意しておこう。
中世ヨーロッパの主従関係は、日本人には想像もつかないものであった。日本では、忠臣二君に仕えずというが、ヨーロッパでは何人の王にでも勝手に仕えることができた。
例えば、ある領主貴族がフランス王から領地をもらって、契約をし、フランス王の家臣になったとしよう。さらに、この貴族がスペイン王から別の領土をもらって、スペイン王の家来になったとする。そうすると、この貴族はフランス王の家臣でもあり、同時にスペイン王の家臣でもある。このようなことは、中世において、ごく普通のことであった。
最も極端な例として、英国王は、フランス最大の領地を持つ、フランス第一の貴族であることもあった。英国王はフランス最大の家臣であるが、英国の王でもあったのだ。幸いなことに、この時、英仏間は平和であったが、もし百年戦争でも起きたら、どんなことになったであろう。
今でも、ピレネー山脈やアルプス山脈などにミニ国家が存在するのは、中世の名残である。いずれにせよ、このような複雑な中世国家があまり残らず、消滅したというのも、結局は、ロック的、象徴的人間論の効用といえるだろう。
ロック的抽象論とは、極めて単純な理論の所産である。ところが、一八世紀最大の人といわれたロックの思想は、アメリカの独立の基礎となり、フランス革命を引き起こした。アメリカ独立宣言(抄)は、ロックの言葉そのままである。
アメリカ独立宣言(抄)
人類の発展過程に、一国民が、従来、他国民の下に存した結合の政治的紐帯を断ち、自然の法と自然の神の法とにより賦与される自立平等の地位を、世界の諸強国のあいだに占めることが必要となる場合に、その国民が分立を余儀なくさせられた理由を表明することは、人類一般の意見に対して抱く当然の尊重の結果である。
われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる。(以下略)
(『人権宣言集』(岩波文庫)収録の斎藤真訳より)
フランス革命もまたロックの思想から起きている。ナポレオンがフランス王とはならず、フランス共和国皇帝となったのは、ユリウス・カイザルを二〇〇〇年ののちに追ったものであり、これまたロックの思想の影響といえる。
世はまさに“投信ブーム”です。新聞や雑誌で投信の広告を見ない日はありません。銀行や郵便局に出かければ、投信のポスターや販売用のパンフレットが氾濫しています。
投信が売れている背景には、長引く低金利や老後への不安から、これまで預貯を中心に預けていた人たちがお金を投資にシフトさせはじめたことがあります。しかし、それ以上に、銀行や証券会社、そして郵便局までが投資信託の販売に力を入れ始めたことが大きいのではないでしょうか。銀行や郵便局の窓口で、「退職金(あるいはボーナス)は投資信託で運用しませんか」「お小遣い感覚で分配金が受け取れる、投資信託が人気ですよ」などど、投信の購入をすすめられた方も多いでしょう。
でも、ちょっと待ってください。その商品のリスクはどの程度かよく理解していますか? 手数料はどれくらいでしょうか? 「目論見書」という書類を渡されるはずですが、目を通しているでしょうか。わかっている人が見ると、とても手数料が高かったり、リスクも高い商品が大銀行の窓口で堂々と売られています。
投信は「少額から分散投資ができて」「専門家が運用してくれる」ことがメリットといわれますが、プロが運用するからといって常に儲かるわけではありません。元本割れする商品もあれば、日本株市場全体の動きを示す、例えばTOPIX(東証株価指数)などの指数を上回る成績をあげられない投信もたくさんあります。なんとなく買うだけでは資産を効率よく殖やすどころか、減らすことにもなりかねないのです。
日本では一般向けに2700本を超える投信が販売されていますが、本当におすすめできるものは非常に少ないのが現実です。というのも、日本の投信は米国などに比べて高コストで、販売形態にも問題があります。たとえば、預金とセットで販売されている投信や、毎月分配金がもらえる投信、販売手数料はかからない代わりに割高な換金手数料を取られるものなど、「要注意商品」がたくさんあります。
ただし、投信自体が悪い商品というわけではありません。商品の特性をきちんと理解した上でいい商品をうまく利用すれば、長期的な資産形成に役立てることが可能です。よく、株式の売り買いを行なって莫大な資産を作ったなどという人もいますが、そうしたことができるのは運と才能に恵まれたほんの一握り。ふつうは「仕事が忙しくて時間的な余裕がない」「企業研究をして投資する会社を選ぶのは難しい」という方が多いのではないかと思います。時間や手間、情報量などを考慮すると、誰もが株式投資だけで一定の収益をあげ続けるのは難しいのが現実。その点、投信は普通の人が運用を考える際にとても適したシステムといえます。ただ、問題は良質な商品の数が極めて少なく、普通のひとには選ぶことが難しいという点につきます。
実際、投資初心者の方がはじめて投信を購入する場合、「毎月分配型」「資産分散型」などの人気商品をすすめられるまま買ってしまう、あるいは大儲けを狙って値動きの激しいインド株投信や中国株投信、最近ではベトナム株投信などにいきなり大金をつぎこんでしまう−といった2タイプにあてはまるケースが多いように感じます。
しかし、どちらのタイプも投信との付き合い方が間違っていると言わざるをえません。というのも、どちらもリターン(収益)とリスクの関係についてきちんと意識していないから。投資では預貯金では得られないリターンを期待できる一方、預貯金ではありえなかった損をする可能性も大いにあるのですが、宣伝や勧誘の甘い罠にはまりマイナス面が見えなくなっているのです。しかし、あまり意識されていませんが、リターンとリスクは常に表裏一体です。それなりのリターンが期待できる商品であれば、必ずそれなりのリスクもセットで存在しているのです。本書ではこうした点も詳しく解説しています。
そうした知識を持っていれば、「毎月お小遣いがもらえます」「将来性があるので、大きな値上がりも期待できます」といったリターンばかりを強調した広告やセールストークに出会っても、「大きな値上りが期待できるということはリスクもそれなりに大きいのだな」と考えることができるはず。小さいリスクで大きなリターンを得られる商品があればすばらしいのですが、残念ながらそんなうまい話はどこにもありません。
4月に刊行される私の著書『投資信託にだまされるな!』では、間違った商品の見極め方を豊富な具体例を交えて説明します。そして、投信の基本的な仕組みやいい商品の選び方を解説します。また、具体的なおすすめ商品や、その商品にどうやって投資していけばいいかといったことまで懇切丁寧に説明していきます。「貯蓄から投資」時代を、だまされることなく、たくましく生き抜きたいみなさんにおすすめの一冊です。
4月上旬発売予定
『投資信託にだまされるな!−本当に正しい投信の使い方』
竹川美奈子:著
●1575円(税込)
share of wallet
【カテゴリー】マーケティング
ある一顧客が購入した特定の商品群(便益)の購入金額(数量)に対する、自社商品(サービス)の割合を指す。この値により、競合商品と比べ自社商品がターゲット顧客にどの程度浸透しているかが分かる。自社や自社商品へのロイヤルティを測る指標となる。
シェアを高める方向性としては、カバレッジを増やす方法と、この顧客内シェアを高める方法がある。製品の特性や市場環境によっては、後者のほうがマーケティングの費用対効果が高くなる。
消費財であれば、典型的には、ファッションや化粧品、エンターテインメントなどの製品・サービスが顧客内シェアの概念にフィットしやすい。B to Bのビジネスは、そのほとんどが顧客内シェアの概念とフィットする。典型的には、ITサービス、オフィス備品、研修受託、金融サービスなどが挙げられる。これらのビジネスでは、顧客内シェアが低くなっている大口顧客の顧客内シェアを高めると同時に、すでに高い顧客内シェアを実現している大口顧客の顧客内シェアを維持する努力が重要となる。
なお、顧客内シェアの考え方は、同じ業種の中でのシェアに限定しないほうが望ましい場合もある。たとえば、中食の販売店であれば、同じ中食だけではなく、ファストフードやコンビニエンスストアなど、異業種も含めたうえでシェアを考えるほうが望ましい。「同じニーズを満たすものは競合」というマーケティングの原点に立ち返る必要がある。
[関連語]市場シェア、市場カバレッジ、ロイヤルティ、代替財
lifetime value, customer lifetime value
【カテゴリー】マーケティング
顧客一人あるいは一社の顧客ライフサイクル全期間で、その顧客が企業にもたらした価値の総計のこと。顧客を獲得維持するためのコストと、顧客の購買額との差額が価値となる。略してLTV、CLVとも呼ばれる。
この指標が用いられる背景には、新規顧客を獲得するよりも、既存顧客にリピート購買させるほうが企業の利益につなげやすいという考え方がある。一般に、成長市場のシェア拡大においては新規顧客獲得が重要だが、成熟市場では顧客シェア拡大が必要である。
顧客生涯価値向上を意図した施策としては、クレジットカード会社、航空会社、携帯電話会社、家電量販店などで取り入れられているポイント制(マイル制)がある。これは、顧客生涯価値向上と顧客の囲い込みを意図したものだが、そのスキームによっては、徒にコスト増をもたらし、逆に企業の収益を圧迫しかねない。
顧客生涯価値を高めるうえで、IT技術を用いたデータベース・マーケティングの手法は不可欠となっている。
[関連語]データベース・マーケティング、ワン・トゥ・ワン・マーケティング、CRM、顧客リレーション、顧客ロイヤルティ、顧客離反率、顧客維持コスト、顧客維持率
database marketing
【カテゴリー】マーケティング
顧客の属性や過去の取引履歴、DMの発送記録情報など顧客に関するデータや情報を一元的に管理、蓄積し、さまざまな角度から分析したうえで効果的な販売施策を講じるマーケティング手法。良質な顧客を囲い込むとともに、その顧客生涯価値を最大化することを意図している。
データベース・マーケティングでは、蓄積された顧客情報をもとに、何らかの有効な仮説を立て、検証する。そしてそれをもとに新しいマーケティング施策を生み出し、ターゲット顧客にアプローチしていく。たとえば、幼児教育の顧客のうち、特定の属性の顧客は小学校や中学校でも特定のサービスを利用するという傾向が強ければ(あるいは逆に弱ければ)、それを踏まえてDMをうつことでマーケティング効率を高めることができる。
データベース・マーケティングでは、大量の情報の蓄積と加工が必要となることから、IT、特にデータ処理技術への投資が欠かせない。特に近年は、データマイニングやテキストマイニングのように、コンピュータの高いデータ処理能力を前提とした分析方法が登場したことも、この傾向に拍車をかけている。逆に、こうした手法が登場したがゆえに、何の仮説もなく、闇雲にデータを蓄積するようになり、死蔵されるデータが増しているとの意見もある。
なお、近年では、個人情報の保護意識の高まりの中、コンプライアンスへの配慮が強く求められるようになっている。たとえば、同じ会社の中であっても、当初のデータ収集の目的以外には用いないなどの規制を設ける会社が増えている。企業にとっては、情報の有効活用とコンプライアンスの中での難しい舵取りが求められる時代となっている。
[関連語]ワン・トゥ・ワン・マーケティング、コンプライアンス、顧客生涯価値
好評発売中!MBAシリーズ
『[新版]MBAマーケティング』
●2940円(税5%)
脱稿後、本書の話をすると共通の反応が見られる。「ウチの会社は、社長は、部門長は、と考えてしまった」というのだ。ウェブがイマイチなのは、テクニックでなく経営の問題でしょう、という問いかけはビジネスマンの琴線に触れるようだ。
昨年Web2・0というバズワードが目立った。しかし話題にはなったが、IT産業以外の大企業の中枢では軽視されているのが実情だろう。
大企業では新たな取り組みが、既にある事業に対して目に見える貢献ができなければ意味がない。ベンチャーはネットに賭けるということもできるが、大企業にとっては全体の一部にすぎないからだ。
大企業のマネジャーは、ウェブ革命と呼ばれる変化のひとつひとつの現象に過敏にならず、自らのビジネスへの意味を冷静につかむことが大切だ。しかし、忙しい彼らはネット・マニアでもない主婦やOLなど普通の人にすら後れをとっているのが現実で、これは問題だ。
大半の大企業はまだ手をこまねいている一方で、この変化をチャンスとして取り組む大企業がいくつか現れている。ネット化への対応いかんで将来の業績の企業間格差が生じる可能性がある。
ブランド、規模、サービスの質、豊富な人材など、大企業は現実世界で組織的な強みを持っている。しかし、ネットの世界では、そうした大企業の組織力は発揮されにくく、顧客の期待に応えられていない現状がある。これが大企業のウェブをつまらなくしている主たる原因だ。
自社の課題の構造を明らかにし、何をなすべきかを考えねばならない。
テレビや雑誌とウェブの連動を求める広告主、ネット検索で情報収集し、ネット上の口コミを参考にして買う消費者。この一〜二年の変化はIT関係者でもついていけないほどだという。例えば、首都圏の高校生の大半はモバゲータウンという一年前に始まったばかりの携帯電話向けSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の会員だ。
すでに日本国民の六割に普及したネットは、利用者の参加、集合知、情報流通性の拡大を加速し、社会的な変化を起こしつつある。
ブログは数百万の個人放送局が出現したようなものだ。検索で企業が顧客に選ばれるようになる。こうして顧客が持つパワーは増加する。
そして、コミュニティやSNSで顧客同士がつながる。知の循環が増幅され、顧客が他の顧客に影響を与えるようになる。そして、検索や口コミにより顧客の購買行動が変化する。
このようなネットによる変化が大企業に与えるインパクトには、簡単に言うと二つポイントがある。
一つはウェブという自社メディアの重要化。もう一つは、既存のものとネットの組み合わせにチャンスがあることだ。
テレビかネットかといった二元論をよく聞くが、どちらか片方という問題ではない。続きはウェブでといったテレビCMが増加しているが、複数のメディアを連携させたクロスメディアや複数の顧客チャネルを協調させたマルチチャネルを考えたい。
このような新たな顧客戦略は、顧客との対話を重視してカスタマー・エクスペリエンスを向上させることをねらう。
具体的には、自社ウェブサイト等による顧客への情報発信、ブログ・リサーチ等による顧客の理解、商品開発やマーケティングでの顧客との協働を推進することだ。
しかし、技術は発展途上であり、社会はさらに変化し続けていく。ケータイによるウェブ利用も本格化はこれからだ。新しい変化ゆえ経験もノウハウも不足している。
不確実で先が読みにくいため、企業のネット化を「実験物理学」(実験や観測を通して現象を理解しようとする研究方法)的な取り組みととらえた方がよい。つまり、やりながら方法論を体得していくのだ。そこにはイノベーションのマネジメントの知恵が使える。
まず、自社のアイデンティティを再確認し、ネット化に取り組むビジョンと理由を明確にして組織として共有する。そこからロードマップをつくっていく。
そして、新たなビジネス機会を特定するフレームワーク、つまりアイデアをビジネス・コンセプトに形作っていくプロセスを繰り返していく。推進体制については、トップダウンとボトムアップの掛け算、組織のルースカプリング(ゆるやかな結合)、エコシステム(外部を活用する生態系)戦略が大切だ。
また、ネットは個人にパワーをもたらすが、自社の社員の力を引き出し、組織横断的に総合力を高めていく取り組みでもある。そうしたノウハウは一朝一夕に身につけられるものではなく、展望をもって学習する態度が欠かせない。
従来のウェブ関連の著作の大半は技術や各論が中心で、ベンチャー的な見方に傾いてきた。また、ベンチャー企業やコンサルタントがあちら側(ウェブ)の世界にいて、大企業のいるこちら側との間に壁があるように感じているマネジャーは少なくない。
大企業にはこれからの変化へ向けた、意思を示すことが求められている。
『大企業のウェブはなぜつまらないのか』
本荘修二:著
●1680円(税5%)
46変判・上製・240ページ
首都圏では、しばしば黄色い看板のラーメン店の前に長い行列ができているのを見かけることがある。その店こそ、ラーメンファンの間では知らない者はない「ラーメン二郎」である。ラーメン二郎の本店は慶應大学三田キャンパス前にあり、多くの人に愛されてきた。
私が初めて三田のラーメン二郎へ出かけたのは二〇年以上前のことである。その当時から長い行列ができていた。もともとこの店には独特の掟があるという噂は聞いていたのだが、軽い気持ちで出かけた私は、すぐに後悔することになった。ある程度行列が進むと、店の中で客が注文している様子が見えるのだが、そのシステムがさっぱりわからないのだ。
不安にかられた私は、すぐ前に並んでいる学生風の男性に尋ねた。「ここではどういうふうに注文すればいいんでしょう?」。しかし、「見ていればわかりますよ」とあっさり受け流されてしまった。
そうこうしているうちに、自分の順番が段々迫ってくる。前の人たちの注文を聞いていると、大とか小とか言っている。席につくと店主から注文を聞かれたので、適当に「小」と答えた。ところが、盛り付けの段階になって、また店主が客に注文を聞きだした。一体どうなっているのであろうか……。
今度は「大ダブル野菜ニンニク」だの、長い「呪文」のようなものを次々に唱えている。ますます混乱してきたが、とりあえず隣の客と同じく「大ダブル野菜ニンニク」と言ってみた。すると「えっ、大?」という声とともに、主人の手が止まった。他の客が一斉に私のほうを向く。恥ずかしい。どうも最初に麺の量「大・小」を決め、盛り付けの段階でトッピングを指定するらしい。「小」と言いなおすと、主人は黙って野菜とニンニクをのせ、カウンターの前に置いた。
そのラーメンがまた驚きだった。丼にぎっしり詰まった麺の上に、具がバベルの塔のごとく積みあがっているのである。チャーシュー(この店では豚と呼んでいる)はまるで塊のようだ。食べても食べても減らない。丼の底からは麺がいくらでも出てくる。しかも、スープは脂でギトギト。なんとか食べきったが、あまりの満腹感と恥ずかしさから逃げるように店を出た。
このように私の二郎初体験は散々なものだったが、同時にそのラーメンと店の雰囲気の強烈な個性は忘れられないものになった。ラーメンファンの間ではよく「二郎はラーメンではない。二郎という食べ物だ」ということが言われる。これは的を射た言葉だと思う。
その後、三田の本店で修業し、弟子として二郎を名乗る店、その流れを汲む店、本店とまったく関係はなく、二郎のラーメンに影響を受け似たようなラーメンを出す店など、二郎系ラーメンは首都圏ではかなりの数になった。そして、その多くが行列店となっている。
その一方で、この一〇年間、ラーメン業界には大きな変化が起きている。一九九六年に東京、横浜で開店した麺屋武蔵、青葉、くじら軒の三軒の店は、それまでの流れを変えた。これらの店が打ち出したのは、まず、素材へのこだわりである。
麺屋武蔵はさんま節というこれまで使われたことのない材料をスープの出汁に使い、さらにラーメンにはつき物だったうま味調味料(二郎ではかなりの量が使われている)を使わないようにした。これは漫画「美味しんぼ」などに見られる自然派志向の広がりから大いに受けた。
青葉は鰹節などの魚系の出汁と豚骨などの動物系の出汁を別々にとり、後から合わせることで双方の風味を引き立たせるダブルスープという手法を採用した。この手法は多くの店が追随した。
店の内装についても、くじら軒は飲食店専門のコンサルティング会社にプロデュースを依頼し、女性や家族連れの入りやすい店作りをしている。サービスも女性用に紙ナプキンを用意するなど、格段に丁寧になった。こうして、古いタイプの店は色あせて見えるようになり、客層も女性やカップルが増え、様変わりした。
しかし、二郎はこの流れにはまったく逆行しているのである。素材に対するこだわりがあるとはいえないし、店は決してきれいではない。サービスらしいサービスがあるわけではなく、一見(ルビ=いちげん)にとっては難しいルールもある。その上、ラーメン業界は新規参入が容易で、競争は厳しい。にもかかわらず、二郎はニューウェーブの店よりも集客力があるし、最近では女性客も増えている。この強さの秘密はどこにあるのだろうか。
バリューチェーンという経営分析手法では、ビジネスの上流から下流までのうち、どこで価値を生むかを考える。ニューウェーブの店では上流(素材の調達)から下流(顧客へのサービス、マーケティング)まで均等に力を入れているのに対して、二郎の場合、上流、下流とも切り落とし、ラーメンの製造という部分にだけ特化している。量が多くて脂っこく、値段も安いという昔からのスタイルを徹底的に守ることによって差別化がなされている。また、雑につくっているようでいて、完全に真似することは難しい。流れに逆らうことでオンリーワンになっているのだ。
独特の注文ルールも、ネットの普及で敷居が幾分低くなり、むしろ二郎という独特の「経験」を楽しめる場として、新しい客の獲得につながっている。逆張り戦略も徹底すれば成功するという好例が、二郎なのではないだろうか。
ひと言でいえば、世の中のみんながやりたいと思っていることをやれたから。それに過ぎません。ではなぜ、多くの企業、マーケッターはできないのでしょうか。私が考えるに、築きあげてきた構造があまりに巨大すぎて、それを壊してまで抜け出すことはない、と感じているのでしょう。変えるためのリスクと天秤にかけてみたとき、変えるだけの決断ができない。それが古いパラダイムに留まらせている原因であり、結果的に後れをとることにもなっています。
キットカットもある意味、同じ状況でした。日本市場に導入されてから、三十数年。知名度もほぼ一〇〇%の有名なブランドになっていました。そのままのやり方を続けていても、すぐには破綻しなかったでしょう。しかし、「明日は?このままでいいのか?」という問題意識こそが、重要な出発点でした。そのために、現状を知ること。キットカットというブランドのいまの問題は何か。それを明らかにすることから始めたのです。
当たり前のことですが、どっぷりと古いパラダイムにつかっていると、小さなほころびにしか見えないかもしれません。一歩引いて、ブランドやマーケットを俯瞰する。それが必要なのです。
幸い、ネスレコンフェクショナリーの社長、そして広告代理店の営業、戦略、クリエイティブのトップ、この四人とも非常に自由な発想の持ち主でした。ここには、昔ながらのクライアント対代理店という関係はなく、チームとして同じ目的に向かうという情熱がありました。このリスクを恐れないチーム意識が、キットカットというちょっと古いブランドを新生させる推進力になったのです。
マーケティングの最大の弱みは、クリエイティブを遠ざけていたこと。論理的な結論を出すために、収束型の思考法をとっていました。これでは、予定調和ではありませんが、革新的な戦略は生まれません。もともとクリエイティブの発想法は拡散型。これでもか、というほどアイディアの輪を広げるやり方です。これだと、アイディアが刺激になって次のアイディアを引っ張り出せる。これを繰り返していくうちに、とんでもない宝物を掘り当てるのです。
これを効果的にやる方法は、異質な人をチームに加え、脳のバトルを行う。違う価値観や知識を持っている人がぶつかりあうことで、まったくあたらしいアイディアが生まれやすくなるのです。
キットカットのチームは、これを実践しました。コミュニケーションの部分だけに留まらず、販売チャネルや製品開発にいたるまで、全員でブレストを行いました。この成果は、実際の製品、キャンペーンだけでなく、チーム全員が同じゴールをめざすという集中力まで生み出しました。
マーケティングは川上にいて、コミュニケーションは川下。そんな考えにとりつかれていては、時代の波を超えることはできないでしょう。
キットカットといえば、いまや受験のお守りとしての地位を確かなものにしました。昨年のセンター試験会場には、なんと四人に一人がお守りとしてキットカットを持っていったという調査結果まであります。たかがチョコレート。縁起を担ぐにしてはものすごい数字です。では、なぜそうなったのか。テレビコマーシャルをバンバン流したわけではありません。「きっと勝つ」という駄洒落な風評をやたらと流したわけでもありません。
受験生の自発的な行動をそっと応援しただけなのです。これはある意味、勇気のいること。通常の広告マーケティングの常識なら、広告費を注ぎこんで、有名人を使っての一大キャンペーンを張るところでしょう。それをせずに、後ろからどれだけ受験生を応援してあげられるか、不安やストレスから解放してあげられるか、それだけを真剣に考えた結果なのです。もちろん、そのためにどうやっていくかを細やかに考え抜きました。なかなかできることではありません。
人のやっていないことというのは、踏み切れないものです。しかし、それをやらなければ、この状況は抜け出せない。非常識といわれたものが、成功すると、いつの間にか常識になっている。そんなことは歴史が証明しています。
クリエイティブと聞くと、突飛、奇怪、未知と思われがちですが、クリエイティブの一番の強みは感情を刺激すること。喜怒哀楽です。ココロを刺激されて動かされることが、消費者を動かす最大の要因なのです。もう、面白い情報を見せただけでは、反応しなくなっています。
私が「クリエイティブ・マーケティング」と言っているのはまさにこのこと。マーケッターは、一見、消費者のインサイトをつかんだようなふりをしていますが、多くの場合それをグループ分けして彼らのココロを塗り直してしまっている。それで、消費者のココロを見失っています。大事なのは顔のない消費者群ではなく、ココロのある消費者。そのためにすること。それが、クリエイティブ・マーケティング。本書は、キットカットの事例を参考にして、そのことを書き下ろしました。明日のマーケティングを志す人に、読んでいただければ幸いです。
『チーム・キットカットのきっと勝つマーケティング』
関橋英作:著
●1575円(税5%)
二〇〇三年九月発行の大前研一著『ザ・プロフェッショナル』は、アマゾン・ランキング第一位、国内大型書店でも上位にランキングされるなど、おかげさまで一五万部のヒットを記録しました。その後、中国、台湾、韓国などの翻訳版も大成功を収め、日本国内のみならず多くの国々の読者から高く評価していただきました。
まず、アジア各国の翻訳出版では、発売直後から翻訳出版の申込みが殺到し、中国では最大手の中信出版社から初版五万部(簡体字版)が発行されました。台湾では天下遠見出版グループから、二〇〇七年一月末現在で第一九冊、累計八万一〇〇〇部(繁体字版)が発行されています。台湾の総人口から見て、日本を上回る大ヒットです。ちなみに台湾の版元は、台湾版Harvard Business Review『哈佛商業評論』を発行しています。
また今年は、米国McGraw-Hillから英訳版THE PROFESSIONALISMが刊行される予定です。大前氏は『質問する力』『考える技術』など、ビジネス書で上位にランキングされるヒット作を数多く生み出してきましたが、一九七五年発行の『企業参謀』(英語版The Mind of the Strategist, 1982.)のように、日本で発表した著書が後に英訳出版されるのは久々のことです(The Next Global Stage, 2005., The Invisible Continent, 2000. などは、英語版オリジナルが発表された後、邦訳されました)。
近年、日本文学は諸外国でもかなり紹介されていますが、ビジネス書は「米国中心」で、欧米の大手出版社が関心を持つような、日本人著者のビジネス書は極めて少ないというのが現状です。ところが本書については、米国の複数の出版社が、大前研一の定義する「ビジネス・プロフェッショナル」を知ることは、米国のビジネスマンにとっても大変有意義なことであると判断したようです。
なかでもMcGraw-Hillは、大前研一を米国に招いてのキャンペーンを検討するなど、本書の英訳出版に際して、最も積極的かつ前向きに取り組んでいます。また今回は、McGraw-Hillからのたっての要望で、THE PROFESSIONALISMの英訳原稿を弊社が作成することになりました。
THE PROFESSIONALISMの英訳原稿の作成にあたっては、日本版と読み比べてみると日米両国の言語表現の違いが明確に表れ、興味は尽きません。ですが今回は、日本とビジネス環境が異なる米国の読者が、本書における日本のビジネスマンの思考法や慣習の記述を誤解することなく正しく理解できるように留意し、また、大前氏独特の言い回しなどについても、日本語のニュアンスまで感じ取ってもらえるような英訳を目指しています。
そんななか、中国簡体字版『ザ・プロフェッショナル』が、中国国内の大手新聞社・出版社三二社が選ぶ「二〇〇六年発行の財経図書ジャンル(経済・経営分野)の良書」として、編集者、読者の人気が最も高い本に贈られる「衆望所帰賞」を受賞しました。このイベントは二〇〇四年から始まり、三回目の開催となる今回は、日米欧発の作品から、『フラット化する世界』(日本経済新聞社/簡体字版『世界是平的』)が「話題作品賞」を、『トヨタ生産方式』(ダイヤモンド社/簡体字版『田生方式』)が「業界優秀賞」を受賞しました。 イベントを主催するSINA.comは、中国のネットユーザーから高い支持を得ている総合サイトの一つで、一日のレビュー数はビジネス分野だけで億単位に上ります。審査は毎年一一月にスタートし、大手新聞社・出版社の編集長三二名ならびにビジネス書の編集者・記者、作家・評論家など専門家約二〇名によって八五作品が選出されます。さらに、中国国内のインターネット・ユーザーによる投票とGoogle.cnでのヒット件数を加算して、翌年一月初旬に結果が発表されます。昨年末時点で中国簡体字版『ザ・プロフェッショナル』のGoogle.cnでのヒット件数は約六二万件でした。 イベントの責任者によれば、中国国内には出版関係のイベントが少なく、出版関係者の間では本賞の評価が年々高まっているということです。また、中国の主要な出版社の代表者が一堂に会した席で、『ザ・プロフェッショナル』の著者と版元が称賛されたという報告を受けました。ご興味のある方は、ぜひ一度、http://finance.sina.com.cn/2006financebook.shtml をご覧ください。
【中国版】2006年6月発行
【日本版】2005年9月発行
『ザ・プロフェッショナル』
大前研一:著
●1575円(税5%)
本書は、二〇〇五年にアメリカで出版された「ジャパン・ビジネス・ルネッサンス」の邦訳だ。著者の二人はアメリカを代表するエコノミストであり、大の親日家・知日家でもある。日本人とは異なる観点から日本を分析した本書は、我々にとって発見に溢れている。
たとえば、日米のビジネスパーソンの意識の比較には、固定概念を覆される。「自分はチームプレイヤーだと思う日本人は六一%・アメリカ人は九四%」「企業は独自性より、効率性を追求すべきと思う日本人二四%・アメリカ人は四六%」だという。環境変化に柔軟に対応し、進取の気象に富むのが現代日本人で、この気質のルーツは乱世を生き延びた武士、とりわけ浪人にあると著者は分析する。
バブル以降、いわゆる日本経営の三種の神器は衰退し、欧米の競合企業は品質面の差を縮めていく。その間、日本は無為に一〇年間を失っていたのではなく、企業を新しくイノベーティブな方向へと変える「準備期」に充てていた。一方で、ほとんどの先進国は未だ従来のシステムにしがみついている。いち早く旧システムからの脱皮を果たした日本の戦略は、今後世界的に優位性を示すだろうと著者は確信する。
我々は日本人をことさら卑下したり、逆に過剰な自信を持ったりしがちだ。自分自身を正しく知るヒントは、先入観抜きに第三者の様々な評価を知ることにある。本書は、日本のビジネスパーソンが日本を再発見し、これからの経営やリーダーシップ行動に活かす上で多いに役に立つはずだ。
『サムライ人材論』刊行記念
ジョン・C・ベック
特別レクチャーのお知らせ
『サムライ人材論』の著者で、サンダーバード経営大学院教授、アテンション・カンパニー代表のジョン・C・ベック氏による、出版記念セミナーを開催します。
【場 所】グロービス東京校 地下鉄有楽町線「麹町」駅 5番出口/徒歩0分
【日 時】2007年4月4日(水)19時〜21時(開場18時30分)
【内 容】「ジョン・C・ベック氏 特別レクチャー」(英語講演) 質疑応答、軽食懇親会
※通訳サービスはございませんので、ご了承ください。
【参加費】3000円
【申込先】グロービス・インターナショナル・スクールのサイトよりお申込みください。
(http://gis.globis.co.jp/)
私が「ヘルスコミュニケーター」になるために勉強をしているというと、何ですか? とよく聞かれる。怪しげな横文字商売ですかとも尋ねられる。でも、決して不思議なことではなく、日本ではまだヘルスコミュニケーターという専門職が広く知られていないからだと思う。
二〇〇七年から東京大学は、アメリカのテキサス州立大学から教師を招いて、「ヘルスコミュニケーション」(健康に関する情報授受)を正式に教えることを開始する。目的は、医療関係者に専門的なコミュニケーションを卒業前から訓練しておくためだ。
科学的なことをわかりやすく、相手に伝える練習をする。これは、医療の専門的な勉強だけではなく、ヘルスコミュニケーションの訓練をしてから、医師や看護師、保健師、薬剤師になることの必要性が高まっているからだ。
学生は、物理や数学、英語といった他の科目と同じように、ヘルスコミュニケーション能力を評価されることになる。言い換えれば、医学部を卒業した学生の将来は、医療の現場で働くばかりとは限らなくなる。
医学系の学部で保健学を学んだ学生が、卒業後に医療関連企業へ「ヘルスコミュニケーター」として就職し、専門的な医療情報をわかりやすく消費者に伝えるといった役割が期待されているのだ。
医療に特化した専門分野の話を、一般的にわかりやすく話をするスキルを持った人をヘルスコミュニケーターと呼ぶ。
ヘルスコミュニケーターが広く認知されるようになれば、例えばテレビの報道番組を報道部が作っているように、健康番組はヘルスコミュニケーターが構成することが期待できる。
日本ではこれまで、コミュニケーションは誰でもできると考える傾向があった。だから、分野ごとに専門家はいらないとする雰囲気もあり、医療関係、例えば健康について、何かを広く大きく伝えるときも広告代理店、コピーライター、芸能界、スポンサーといった図式で伝達されてきた。
そこにヘルスコミュニケーターというような専門家がいるわけではなかった。時々、医学博士が登場してきて、専門的なコメントを言うにとどまっていた。
これが少し変わりつつある。今年の二月に、納豆を食べると痩せると放送したテレビ番組をめぐって「捏造」問題に発展し、番組は中止、スポンサーを失った制作会社が潰れるとまでの噂が出た。「納豆で痩せる」という番組内容には科学的根拠はないとされ、問題になった。私もこの番組はよく見ていて、トコロテンが番組で取り上げられた次の日に、私の愛するトコロテンがスーパーから全部消えていたことを思い出す。
大きな影響力を持つテレビ番組は、あらゆる食品を応援し、そろそろ茄子、次は大根というように、市場の売り上げのお手伝いをしていたのであって、厳密な科学的根拠をテーマにしてきたわけではない。科学的根拠を追及されたら、神経質になってしまって何も言えない。すべてが「捏造」と騒がれてしまう危険性もある。
学会で発表される食品に関する科学的データと、本来は一緒にされるべきテーマではないと私は思う。“売り上げのお手伝い”として、害にならない俗説を紹介して楽しむバラエティであったはずの番組に「科学的」に見せる権威づけをしようとしたことが、捏造へと道を踏み外すことになってしまったのではないか。
スーパーの棚から消えた納豆も、私のトコロテンも、一週間待ったらまた買えるようになった。
こうした科学と俗説との住み分けの境界線を、ハッキリとわかりやすく話ができることが「ヘルスコミュニケーター」の仕事の一つだ。
「ヘルスコミュニケーターって何?」という質問の後に、必ず投げかけられるのが「なぜ、あなたが?」という問いだ。
これに答えるには、私がかつて唯一の職場としていた芸能界での内臓をえぐりとられたような痛み、怒り、そして今、ストレスカウンセラーとして修業中の心療内科との出会いを語らなくてはならない。
失ったものを取り戻すまでの八年間を振り返りつつ、心に痛みを抱えた方の参考になればと『元気になれるなら、死んでもいい。』を執筆中。ぜひ読んでください。
※石井苗子さんは『元気になれるなら、死んでもいい。』を5月に弊社より刊行予定です。
中村邦夫(なかむら・くにお)が松下電器産業の社長に就任したのは、二〇〇〇年六月、ITバブルがはじけた直後のことだった。
松下はそれまで、「遅くて重い」会社という見方をされており、ブランド面でも商品面でも、ソニーに大きく水をあけられていた。しかもITバブルの崩壊により、史上最悪の赤字を計上した。松下はまさに水没寸前。一刻の猶予もなかった。
創業者・松下幸之助の亡き後、伝統に縛られた官僚的な風土を打開すべく、松下で改革は幾度となく試みられてきたが、いずれも頓挫した。
ではなぜ、中村改革だけが成功したのか。それは中村の強烈なリーダーシップがあったからであるが、それにしても、たった六年という期間にしては、あまりに多くのことを成し遂げたのではなかろうか。私の見るところ、それが可能になったのはおそらく、すでに改革の「リハーサル」を済ませていたことが大きかったのではないかと思う。
中村改革の源流は、一九九〇年代に遡る。彼は四〇代後半から一〇年にわたり、米国・英国赴任を経験した。国内では大企業の松下も、海外ではそうはいかない。マーケティング一つとっても、苦労の連続であった。しかも、松下社内の視線は大阪・門真の本社に向いており、海外市場のことなどまるで考えていないように見えた。
そんな状況で中村は、日本の外から松下を客観的に見つめ直し、手をつけるべき戦略課題を明らかにした。そして米国松下のトップの座に就いたとき、改革の前哨戦として、ブランドの再構築を含めた大規模な変革に着手した。
私が彼に協力し始めたのは、この頃である。中村からの命を受け、改革の素案を書いたのだが、私は、中村がいつか松下のトップになることを予感し、提言はすべて、米国のみならずグループ全体の問題解決につながるよう、意識した。
このような経験を通じて中村は、「米国にいたからこそ、会社を変えようという自信ができた」と語る。そして松下の社長就任後は、事業部制の解体、早期退職制度、系列企業の子会社化など、矢継ぎ早に改革を進めたことは周知のとおりである。
中村を評価する日本の報道の多くは、改革の原点である九〇年代が空白のままになっている。本書では、知られざる改革のすべてをあますことなく紹介していく。
『松下ウェイ−−内側から見た改革の真実』
フランシス・マキナニー:著
●2310円(税5%)
新聞を開くと、○○企業がトヨタ式を導入という記事が目に飛び込み、書店に行くと「トヨタ式」に関する書籍が数多く出版され、私のこれまでの本もお蔭様で多くの方々に読まれている。このように情報があふれていても、まだまだ質問や疑問を持つ方々が多数いる。多くの読者にとっては、分かったような、分からない部分があるようだ。
ここのところを分かりやすく解説してもらいたいというのが編集者の依頼であった。
その際に、編集者から、ダイヤモンド社から三十数年前に出版された大野耐一著『トヨタ生産方式』が当事のままの内容で今でも版を重ね続け、最近のビジネス書では珍しいロングセラー書になっている、と聞いた。私も若い頃に大野耐一氏の薫陶をいただくことができ、トヨタ式カイゼンの真髄を叩き込まれているだけに、折に触れて氏の考えを紹介させていただいてきたわけである。
さらに広くトヨタ式カイゼンの真髄を知ってもらうために、ダイヤモンド社から『トヨタ式人づくりモノづくり』『トヨタ式改善力』などのトヨタ式シリーズを出させていただいたのである。
今回、さらなる分かりやすい解説の執筆に踏み切った理由は、世界各国でトヨタ式カイゼンが導入され、日本のライバル企業が強力になりつつあるからである。このままでは日本の雇用市場がどんどん狭くなるのではないかとの危機感である。
トヨタ式経営の根幹を成すのは、@豊田佐吉翁の独創の技術にかける執念や、創業者豊田喜一郎氏のアメリカに追いつくことをめざした乗用車生産にかける執念など、トヨタ自動車の歴史をつくってきた方々の想いをまとめたTOYOTA WAY、Aトヨタ式のモノづくりの根幹を成すトヨタ生産方式、B人間性尊重に基づき、人間の考える能力の発露に着目した日々改善、という三本柱から構成されていることである。
本書執筆に当たっては、トヨタ式カイゼンの骨格が固まった昭和三〇年代終わりに、トヨタ自動車の経営の現場で幹部社員として活躍し、その後、関連会社その他で改善の指導者として活躍され、現在、カルマン株式会社の特別顧問をしていただいている方々の協力を得て、内容に深みと厚みを持たせるように配慮した。それにより、知られていなかったトヨタ式カイゼンを公開させていただくことができた。
まず知ってもらいたいのは、トヨタ自動車の経営はアメリカから輸入された経営の教科書を見て、「ああでもない、こうでもない」といって真似をしながら行なってきたものではないということである。
自分たちで試行錯誤して、お客様のためにどのようなことをするのが最適なのかを考えながら、やるべきことを粛々とやってきた結果の経営方式である。自動車をつくりながら、独自の経営方式をつくってきたのである。
こうやってつくられたトヨタ式経営の最大のねらいを端的にいうと、最強の原価をつくることを追求し、そのプロセスで最強の人財(人は材ではなく、財であると考えている)をつくることである。なぜかというと、競争に強い会社をつくらなければならないからである。
その際、キーポイントとなるのが人間性尊重である。人間性尊重は、人間の考える力を活用することである。人は説得されてやるよりは、納得して自発的にやるほうが生産性も上がるし、創意くふうの知恵もどんどん出る。
このような基本的なことについて多様な側面から解説を試み、読者の皆さんに「なるほど、こういうことか」とお分かりいただけるように配慮させていただいた。
これは何事も、現象面にとらわれず、基本をシッカリと把握し、その基本に応用情報を付加していけば、ムダや、バラツキもなくトヨタ式カイゼンを理解できると信じているからである。
ここで一部を紹介しよう。人材を人財に変え、日々改善を行ない続ける人財を育てるために、次のようなことが行なわれているのである。
(1)マトリックス組織による幅の広い人財の育成。これは縦軸に従来の業務を遂行するための役割・責任を明確にし、横軸に会社の品質・原価・納期などの機能を向上させる役割・責任を表すものである。
(2)個人の能力を向上させるために、創意くふう提案制度の活用。
(3)集団として問題解決能力を向上させるために、QCサークル活動の活用。
(4)自発的に能力向上に取り組む星取表、社員の能力のバラツキをなくす標準作業の活用。
『トヨタ式カイゼン入門』
●1575円(税5%)
営業先で、「お忙しいところ、すみません」と切り出していませんか? また、「当社で一番の売れ筋商品をお持ちしました」と売り込んでいませんか? あるいは、あなたの提案に上司からNOと言われたとき、「どうしてダメなんですか?」と言っていませんか。
なかなかYESをもらえない、交渉の打率が上がらない理由は、実はこんな “ひと言”にあります。
「Win−Win」という言葉、すでにご存じの方も、なじみのない方もいると思います。よく知っている方は「理想はそうでも、実際は−−」とあきらめモード。初めて聞く方も「両者が勝つなんて−−」と半信半疑。日々、研修の現場で受講者の方々から返ってくる最初の反応です。
でも、相手にきちんとWin(勝ちと価値)を渡せば、自分にもWin(勝ちと価値)は返ってきます。相手がお客様であれば、リピートが期待できる。相手が社内の人であれば、次の会議でも気持ちよく話ができる。本気の“相手目線”で話ができればきっとトビラは開きます。
本書は、本気の相手目線で会話するためのスキル、発展的で協調的な自己主張「アサーティブ」の基本を身につけることで、トータルな仕事力に磨きをかけていただくことを目的としています。「営業力」と題しましたが、それが求められるのはお客様相手の場面ばかりではありません。意外と難しいのが社内の人とのコミュニケーション。上司や同僚、他部署に後輩。もちろん顧客や取引先も含めて、大事な仕事相手を“動かす”ためのヒントを満載しました。
冒頭のトークも、その一例。その“ひと言”をアサーティブに言い換えるだけで、相手の反応が違ってきます。
したいことを「したい」と言う。して欲しいことを「して欲しい」と言う。できないことを「できない」と言う。したくないことを「したくない」と言う−−これが、アサーティブな自己主張です。
決して難しいことではありません。本気の「Win−Win」を目指して発言の目的をはっきりさせ、ほんの少し注意を払えば、日々の営業活動でもアサーティブなアプローチは実践できます。
こちらの主張に相手が「NO」と言ったとしても、必要以上にがっかりする必要はありません。「NO」の理由を掘り下げていけば、「YES」をもらうカギが見つかります。中途半端な「YES」をもらうと、「NO」以上に厄介な事態を招くこともあります。そうしたデメリットを軽減することも、立派な「Win−Win」。無理せず、手を抜くことなく、両者にとっての「Win」のポイントを探すことが大切です。
ビジネス・コミュニケーションは、7つの基本アクションで成り立っています。かなり込み入った話や難しい交渉も、これらを足したり、引いたり、組み合わせることで乗り切ることができます。
7つの基本アクションとは、「頼む」「断る」「叱る」「謝る」、そして「プラスを表す」「マイナスを表す」「アピールする」。まずは一つひとつのアクションのゴールを理解し、正しいスキルを身につけることが大切。そのうえで、相手や状況に応じて話の順序を変えたり、“ひと言”足したり、引いたりする。たったそれだけでも、印象は大きく変わります。
「もったいない!」。受講者の方々の話を聞いて、そう思うことがよくあります。同じことを伝えているのに、大事な“ひと言”が足りないために真意が伝わらなかったり、伝える順序を間違え、もらえるはずの「YES」を逃していたり。
「YES」をもらうために、あなたのメッセージを変える必要はありません。自分の思いが目の前の相手にきちんと伝わるよう、少しだけ注意する。相手の誠意に応えるため、少しだけ意識する。本書は、社内・社外のコミュニケーションでよくある場面を5つずつ取り上げ、どこに注意しながら、どんな順番で、どう話を進めれば伝わるかを、具体的なトーク例を交えながらご紹介しました。
例えば、ドキドキの初対面トークで心をつかむ、クライアントからの無理なリクエストに対処する、大失敗を詫びる。あるいは、遅れ気味の仕事について上司に進捗報告する、新しい企画を通す、後輩を指導する、などなど。難しいと思われる場面こそ、アサーティブに。そうすれば、その場を乗り切るだけでなく、明日も握手できる関係を築けるはずです。
伝え方の工夫に加えて、もう一つ大事なことは、相手の話をよく聴くこと。相手のキーワードや関心事を知っているかどうかが、アサーティブと“わがまま”の境界線。単に“聞く”のではなく、心を込めて、相手の思いを“聴き”出すことが大切です。
昨年6月に出版した『15秒でツカみ90秒でオトすアサーティブ交渉術』では、交渉のトビラを開ける大事な自己紹介、自己PRを軸に、アサーティブ・コミュニケーションの基本をご紹介しました。今回はそれを一歩進め、日々のビジネスシーンでそれを実践するためのスキルを1冊にまとめました。もちろん、相手のキーワードを引き出すコツ、聴く技術も紹介しています。
自分のメッセージを自分らしく伝えるために、相手のことを考え、言葉を選ぶ。それができている人は、結果として、相手からも選ばれる−−。たったひと言で自分も変わるし、相手も変わります。
日々の仕事で実際に使って、その効果を実感してください。
『たったひと言で相手を動かすアサーティブ営業力』
●1500円(税5%)
忙しくても一日に一度は鏡を見る。鏡は大切だ。自分を客観視するために最適な道具である。
化粧をする時だけではなく、何か調子が悪い時、鏡を見れば、調子が悪い原因がわかることも多い。
鏡にむかって微笑んでいる人がたまにいる。他人にその姿を見られるとちょっと恥かしいのだが、大事なことだ。自分の笑顔をチェックし、財産にしていくことは「美人のもと」をどんどん増やしていくことだからだ。笑顔は確実に人を美しくする。笑顔がどうもおかしいと思った時、それは何か異変を告げている。細かくチェックしたほうがいい。
そんな大切な鏡だが、やはり美人は鏡の扱いがうまい。見たい部分を見るために的確な位置に鏡を持っていくのだ。それが素早い。そこで固定する。腕のいいカメラマンのようだ。見ている時間も意外と短く、テキパキしている。仕事が早い。
その鏡も自分のバッグのどこにあるかがはっきりしている。美人はバッグの中からすばやく鏡を取り出す。しかもそれがきれいなのだ。
一方、「美人のもと」が減っている人はなかなか鏡が出てこない。どこにあるのか忘れている。なぜかそれを探している最中の顔がどんどんおかしくなっていく。口がとがったり、下唇だけ下がったり。最後には深海魚みたいになっていく。
やっと出てきた鏡はやはり汚い。特に鏡面である。よくもこんなに付いたなと思うほど指紋がついている。それではいろいろチェックできない。
だからだろうか、意味なくダラダラと時間を費やしてしまう。なぜか何もしないで、自分の顔を見て不満そうな顔をしている。不満そうな顔を見ると余計に不満が募るのに。そしてバッグに片付ける時、投げるように放り込む。それではまた次回探すことになる。
鏡と仲良くしよう。いつも鏡面をきれいに。顔をきれいにする気持で鏡面にも気を遣おう。それだけで自分で気づかなかった自分の美しい部分が見つかる。その喜びは自分をもっと美しくしてくれる。鏡を見ることが楽しくなる。楽しんでいる顔は「美人のもと」を育ててくれる。
今日、鏡を調べてみよう。そして、ピカピカにしよう。
きっと調べれば素敵な名前があるのだろうが、それはどうでもいい。コロコロだ。バッグにキャスターがついていて、引いて使うやつ。あれだ。
ちょっと運ぶものが多いとか重いという時には便利だ。旅行にも便利だし、日常でも使える場面は多い。おしゃれなデザインのものも増えてきて、街のあちこちで見かけるようになった。
こんな便利なものを使わない手はない。これを上手く使っていると実にかっこいい。重そうな荷物を、カラダを傾けながら持つより、颯爽と引いたほうがずっと美しい。コロコロというよりサーッという音が聞こえそうだ。しつけの良い犬をつれているようでもある。
しかし、気をつけよう。上手に引いている人は少ないのだ。引いているというより引きずっている感じ。荷物の軌道が左右にぶれていて、酔っ払いの足取りのようだ。持つのが面倒だからいやいや引いている。こちらはしつけが悪いためにあちらこちらに行きたがる犬のようだ。
しつけの悪い犬はあちこちにぶつかる。人の足にも平気で当たってしまう。きれいに転がっていないことがいつものことなので、当たり癖がついていて、他人にぶつかっても気づかないのだ。傲慢な犬コロである。
コロはあちこちにぶつかっているので、壊れ気味でもある。だから、ますますまっすぐ進まない。持ち主はそれを我慢できず、コロにケリを入れたりする。自分がしつけしていないくせに、犬に怒ってばかりいる飼い主の状態だ。さらに壊れるのに。
この犬がどうしてコロになっていくか。それは大切にしないからだ。コロが傷ついてしまう最も大きな原因が段差での扱いだ。美人はさらりと持つ場所を変え、持ち上げる。しかし、コロはいつも持っているところをそのまま持ち上げられる。持ち手は意外と弱い。これで持ち手が壊れていくことが多い。そうなると、左右に暴れ始める。そうなるとコロが大コロになるのだ。
もうひとつ。引く場所を考えること。美人は狭い通路ではがんばって手で持つ。転がさない。場所に応じて持ち方を変えるということだ。決して飛行機の通路で引いたりしない。
飛行機の中で引いている人がいたら、逃げよう。平気でぶつかってくる。美人はコロから身を守ることも心得ている。
わたしたちは、いつも何かに追われて忙しくしている。地域のボランティア活動の運営に携わるワーキングマザー。大きなイベント責任者に任命されたものの、いったい誰を巻き込み、何をしなければいけないかがわからないとお悩みの中堅ビジネスマン……。ほんとうは周りの人に手伝ってもらいたいのに、何をどう頼んでいいかわからず、ひとりで仕事を抱え込んでしまう。そもそもひとりで抱えきれない仕事量なのに、それに加えてプレッシャーがのしかかり、「どうして、自分ばかりがこんな思いをしなくちゃいけないのか」と、ついイライラしてしまう。こうして、周りが声をかけられないほどピリピリした雰囲気になってしまい、あとで後悔する……。訳者のみならず、このような経験をお持ちの方も少なくないだろう。
上手に人を巻き込むワザがあれば、いいアイデアが生まれ、仕事を早く終わらせることも可能だ。本書で紹介されている手法は、日常の仕事、自治会、ボランティア活動、そして大規模プロジェクトまで、あらゆる種類の仕事に応用できる。
本書の特徴は、実務的な側面と、人の心理の側面の両方からアプローチしていることだ。いますぐ、周りの人に手伝ってもらうための実務的なアプローチが知りたいという人には、目次にそって自身の活動全体を俯瞰することをおすすめする。目次には、次の5ステップに沿って、検討すべき項目が列挙されている。
(1) どんな助けが必要なのかを明らかにする−−そもそも、ひとりでやるより手伝ってもらうほうが望ましいかどうかを判断し、その上で人を巻き込むと決めたなら、ノウハウ、人手、コミットメントなどどんな種類の助けが必要かを明らかにする。
(2) 誰に声をかけるかを決める−−「あの人なら助けてくれる」というお決まりの人ではなく、本来関わってもらうべき立場の人たちを検討し、その上で個人名を考える。
(3) どうやって口説き落とすか、その手段を考える−−直接アポをとって会いに行く、電話をかける、招待状を送る、eメールを送る……。あらゆる手段があるが、それぞれ長所と短所があり、相手との関係によって選ぶべき手段も変わる。
(4) 活動の途中で、メンバーを落ちこぼれさせない−−長丁場の活動ともなれば、活動当初の熱狂ぶりも冷めてくる。常に本来の目的に立ち返るとともに、メンバーへの精神的なサポートを怠らない。活動の進捗に応じて必要なメンバーの資質も変わるから、定期的なメンバー見直しも必要だ。
(5) 活動を終了させ、また一緒に仕事をしようという気持ちになってもらう−−活動を尻すぼみにさせずに、達成したことをきちんと確認してお祝いで締めくくる。新しいことに関心が移ってしまう前に、活動から得た教訓をメンバーで共有するとともに記録を残す。このようにきちんと締めくくることで、メンバーに「この人とまた一緒に仕事をしよう」という気持ちになってもらうことができるのだ。
これらのプロセスごとに章が割り当てられ、その応用編として会議の運営方法も紹介されている。巻末のチェックリストにもぜひ目を通してほしい。
実務プロセスのみならず、心理面の考察がこの本に厚みを持たせている。なぜ、わたしたちは周り人に素直に手伝ってと頼めないのか。人に頼んだ場合のメリットとデメリットの両方に目を向けずに、デメリットばかりに気をとられているのではないか。頼んだ相手に断られたとき、落ち込む前に、なんで相手が断ったのかその理由を把握して、必要な対策を講じたうえで粘り強く説得すべきではないか。誰にでも苦手な人がいるものだが、そのような人に「トラブルメーカー」というレッテルを貼ってしまいがちなのはなぜか。自分のことを棚に上げて、厳しいモノサシで評価するから「問題行動」と映ってしまうのではないだろうか。実務プロセスにとどまらず、自分の、そして相手の心理面にも思いを馳せることで、チームで何かを成し遂げるために必要な人材マネジメントスキルが高まるはずだ。
物ごとをひとりで抱え込まないで、周りの人に手伝ってもらう一番の魅力は何か。活動のスケールが大きくなることはもちろんだが、それ以上に、人と一緒になにかをする楽しさと達成感、そして時間をともに過ごすなかで感じる心の豊かさにあるのだと思う。日常生活、ビジネスのいずれの場面においても、何らかの仕事のリーダー役を引き受けるのは大変だが、どうせエネルギーを使うなら、ひとりで抱え込んでイライラするのではなく、人と豊かな時間を過ごすための準備に充てれば日々の生活はもっと楽しいものになるかもしれない。
訳者の友人のひとりに、周りの人を巻き込んで手伝ってもらう達人がいる。仕事仲間だったその友人の別荘に、昔の仕事仲間とその家族でときどき遊びに行くのだが、買い出し、料理、後片づけ、掃除、洗濯まで全部自分たちでやらなくてはならない。面倒くさくなりかねないこれらの活動を、友人はてきぱきと指示して周りに手伝わせ、頼まれたほうもハイハイと楽しげに調理の準備やら後片づけをしている。あらためて考えてみると、この友人は、別荘に友人を招くときの一連の作業を把握し、その上で自分がやるべき作業を明確にし、それ以外の作業を招いたメンバーに担当してもらう段取りと準備をしているのだと思う。全体像を把握しているから精神的にも余裕があり、楽しく仲間を迎え、手伝ってくれるよう上手に頼むことができるのだろう。
ビジネスの場面においても日常生活においても、同僚や家族、友人と一緒に豊かな時間を過ごし、ともに分かちあった目標を実現していきたいものだ。本書から、そのためのヒントを得ていただければ、訳者としてこれほどうれしいことはない。
秦の始皇帝を持ち出すまでもなく、不老不死は人類誕生以来の究極の願い。その見果てぬ夢である「不死」はさておき、「不老」のほうに関しては二一世紀を迎えた今、現実のものになりつつあるようです。
老化とは体を構成している細胞が衰え、その機能が十分に発揮できなくなること。問題はなぜそうなるのかですが、その仕組みが現代医学のメスによって少しずつ明らかになってきたのです。それに伴い、近頃はアンチエイジングの専門外来を設ける医療機関も目立ってきました。
現在、老化の原因と目されているものには「酸化ストレス」「免疫力低下」などいくつかありますが、「ホルモンの低下」もその一つ。中でも、抗加齢ホルモン(DHEA−S)検査による老化度チェック(横浜・ゆうあいクリニック)が大きな話題を集めています。
DHEA−Sは体内のホルモンの源で、(1)免疫機能の向上、(2)ストレスへの抵抗性の向上、(3)肌のツヤやハリの向上、(4)性的ときめきや精力の向上、D動脈硬化・骨粗鬆症などの抑制、(5)筋肉の増加や体脂肪の減少、などに働くといわれています。
最近開かれた学会の研究報告でも、このホルモンの濃度が寿命を左右する、すなわち老化の大きな鍵を握っていることが明らかにされたとか。ちなみにDHEA−Sの平均分泌量は、男性は二五歳で3685ug/dlあったものが四五歳で1950ug/dl、六五歳では1275ug/dlに。女性の場合は二五歳で1840ug/dlだったのが四五歳で1165ug/dl、六五歳では540ug/dlと、三分の一以下にまで激減してしまいます。
同クリニックの「アンチエイジングコース」(※)ではDHEA−Sの血中濃度を測定することで、外見だけではつかめない正確な“老化度”を診断。この結果をもとに、より具体的かつ効果的な治療や予防が可能になってくるわけです。さて、あなたの老化度は−−?
※PETによるがん検査のほか抗加齢ホルモン検査等が含まれている。
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花崎取締役グロサリー部長から藤代浩介社長に、年内に退任したいと申し出があったのは、12月中旬の競合対策会議の2日後であった。浩介は何となく予期していたようなところがあって、ただ「分かった」とだけ言った。がっしりした身体を小さくしている花崎の姿は、なぜか、哀れに見えた。
「守田さんとは、何と申しますか、腐れ縁みたいなものがありまして」
言い訳をするように口の中で言葉を濁して、花崎は退出した。迂闊にも、後から花崎の履歴を見て、浩介は、花崎が30年ほど前に守田哲夫の縁故を頼ってフジシロに中途採用されたのだと知った。両者の縁はフジシロ入社前に始まっていたのである。身上書の備考欄には、わざわざ家族同士が親戚同様に付き合っていると書かれてあった。
「まずいですねえ。最悪のタイミングです」
直後に浩介から話を聞いた間宮取締役は顔をしかめた。「せめて対策会議の前だったらよかったのですが。これで、我が社のアドバンス対策の全貌が、相手に筒抜けになってしまいました」
「そういうことだな」
浩介も、退任する花崎の苦虫顔が伝染したような顔をしたのだが、午後、社長室にやってきた佐藤詠美と重成大五郎は、心配ないと断言した。
「もともと花崎取締役がプログレスに行くことは、予想されていました」と重成は胸を張る。「退任は12月のうち、という予測も当たりました。2月上旬のアドバンス新宮里の開店に間に合うぎりぎりのタイミングを計ると、そういう結論になります」
「どうして花崎が辞めると分かったのだ」
「守田さんは管理畑しか経験していないので、商品の仕入れも店舗の運営も、営業のことはできません。営業関係者はすべて当社からの人材で賄わざるを得ないのです。そこで、いままで当社からスカウトされた人を見ると、商品部では鮮魚・精肉・総菜の生鮮3部門から各1名、にもかかわらずグロサリーからはたったひとりだけです。青果部の岸原君が断った結果、青果の仕入れを担当する者がおりません。青果のバイヤーは、プログレスから連れてくることになるでしょう。店舗関係では店長、副店長各1名と各部門のチーフです。いずれにせよ、この顔ぶれを見ると、グロサリーの商品部からの人員が足りない。だから、だれか上層部の大物が予定されていると思ったのです。花崎さんは、守田さんの在任中からウマが合うようでしたし、スカウトの噂は初めからありました」
「そうだったな」
浩介は、そんな噂があったことを思い出していた。だれが裏切るかも知れない、だれは迷っている、などという揣摩憶測は、浩介のもっとも好まないところだったから、そういう情報は意識的に聞かなかったのだ。
「それにしても、我が社の競合店対策の詳細が相手に漏れてしまったわけだ。作戦を土台から練り直さなければならないだろう」
「大丈夫です。心配される部分については、ちゃんと手を打ってあります」
「手を打ってある?」
「売り場の問題点をすべてチェックして直しておくという点については、その情報が漏れてもどうということはありません。相手は対応のしようがありません」
「それはそうだ」
「当社があくまで日常の食の提供者であり続ける、という基本コンセプトについては漏れるも漏れないもない、初めから分かっていることです。アドバンスがそれを模倣しようとしても、会社の考え方を抜本的に変えない限り無理です」
「うむ」
「生鮮食品のジャストインタイム作業という点については、アドバンスがやりたくても、技術的に不可能です」
「どうしてだ?」
重成が助け船を求めるように見たので、詠美が引き取った。
「生鮮食品の加工作業が職人任せでなく、一つひとつ作業ごとに標準化されたうえで、その全体がひとつの流れとなっていることが基本条件です。つまり、スーパーマーケットの作業場は、高能率の食品加工工場なのです。そのためには作業場のハードウェアがそれに合うように設計されていなければならず、作業人員が計画的に配置される必要があります。アドバンスの宮里店には、そのすべてがありませんから、仮にジャストインタイムにしようという発想があってもできません」
「分かった」
浩介はちょっと溜息を吐いた。説明を聞いているうちに、何度も聞いた話だと分かってきたのだが、それを改めて尋ねるところが、自分がまだスーパーマーケットの仕組みに精通していない証拠だと感じて、自分に腹が立ったのである。
「しかし」浩介は話題を変えた。「商品を全部比較して当社のほうが優れていると判明した商品をアドバンス開店前に超特価で販売し、周辺消費者に試食してもらう。その人たちがアドバンスの該当商品を食べて失望する。そういう作戦で行くと言っていたが、この場合には情報漏れは決定的なマイナスだ。各商品部が商品の比較の一覧表を示して説明したときに、花崎さんは全部聞いていたのだから」
「『試食作戦』のことですね。社長、覚えておられますか、その議題のとき、商品部の説明は、すべてスクリーンに映した資料に基づいて行われました」
「何? どういうことだ」
一瞬、とまどったが、浩介は思い出した。
「試食作戦」のための商品比較の結果報告が始まったとき、浩介が「スクリーンに映すだけでは頭に入らない。表をコピーして配布して欲しかった」と言った。
それに対し、重成は素直に「すみません」と詫びた。「準備が間に合わなかったのです。比較一覧表は、後から関係者全員に配ります」
パソコンを使ってスクリーンに映し出すほうが、コピーをとって配るより、かえって手間がかかるはずだ。何か変だなと、そのとき浩介は感じたのだが、謝っている相手をそれ以上追求することもないと判断して「一覧表を頼むよ」と収めたのだ。
「ということは?」
「花崎さんに渡したのは、社長や皆さんにお配りしたのとは内容の違う表です」
浩介は、突然、足下から小鳥が飛び立ったような顔になった。
「そんなことをしても、会議で説明されたものと違っていることに気がつくだろう」
「もちろん、きめ細かく細工をしました。花崎さんが詳しいはずのグロサリー関係、特にドライ・グロサリー関係については、おおむね正しい内容を書いておきました。総菜、日配商品などについては、会議で質問が出たり話題になったりして、花崎さんの印象に残ったと思われるものは正しい情報になっています。しかし、気づかないと判断される商品については、むしろ反対の情報になっています」
「つまり、例えばプログレスの商品が我が社の商品より劣る場合に、それが優れた商品であるということになっているのか」
「はい」
「スパイに偽の情報を掴ませたわけだ。スパイ小説好きの君らしいアイデアだ」
「ところが、これは佐藤先生が考えたことです」
「ほう」と言って、浩介は、詠美をじっと見た。「先生は凄いことを考えますね」
「いえ、花崎さんがかならず裏切ると想定したら、そうしないわけにはいかないでしょう」と詠美は硬く冷たい表情である。プログレスを徹底的に叩くのだという決意が読みとれる。
「そうしないわけにいかない、か。なるほど、女性は恐ろしい」
詠美は、かすかに微笑んだが、すぐにまた元の表情に戻った。
「ところで、花崎さんのほかにスカウトされそうな人はいないのか」
「いないと思います」と重成。「この数週間で社内の雰囲気は、180度変わりました。まず、社内会議などで当社の競合対策がどういうものか、だんだんその姿が明らかになってきました。そこに、モルモットになってプログレスの店の近くに住んだり、デパ地下の食品で生活したりした人たちから、いろいろ情報が入ってくる。それらを総合すると、我が社は日常の食生活に関する店としてならプログレスに絶対に負けない、という自信が生まれてきました。その結果、前社長からのスカウトによって何となく浮ついていた皆の心が、急速に冷めました。花崎さんも、まったく同じように感じていたと思います。でも、あの人は守田さんとの関係があるので、戻れなかったのでしょう」
「そうか」と浩介は詠嘆するような調子で言った。花崎に対する憐憫の情が浮かんだのかも知れないが、口には出さなかった。「それはよかった。そうなると、皆のその気持ちが冷めないうちに、どんどんやることだな」
「はい。どんどんやります」と重成が言った。「アドバンスの宮里店は、プログレスのスーパーマーケット作戦第一号店ですから、新規開店にあたって、どういうチラシを打ってくるか、前例がありません。でも、プログレスの新規開店チラシなら手に入ります。そこで、過去2年間に開店した8店舗のチラシを分析した結果、2つのパターンがあることが分かりました。そのうちのひとつ、プログレスにしては小商圏を対象にした店舗でまいたチラシと同じパターンでくると判断し、そのチラシの品目と価格に合わせて、宮里店は、迎撃チラシを打ちます。徹底的に出鼻を挫く作戦です」
「相当な低価格か」
「かなり低価格ですが、取引先の協力を得たうえで、我が社としても、ある程度粗利益率を落とす覚悟をすれば、対抗できない価格ではありません」
「そうか」
「生鮮食品については、鮮度・品質ともにフジシロが圧倒的に優勢ですから、特売、通常売価ともプログレス並みにすれば、消費者はかならずフジシロを支持します」
「分かった。価格でプログレスと同レベルにすれば、すべての分野でアドバンスを凌駕できるということだな」
「そのとおりです」
「その他の点でも抜かりはありません。ポイントカードは、100円でワンポイントつくやり方ですから差はまったくありません。おいしい水を無料でサービスすることも、同じように、すでにやっています」
「とにかく、日常の食生活にかかわる買物については、フジシロに行くのが一番だと消費者が信じれくれるまでやり抜くことです」と詠美が結論した。「かならず勝ちます」
「守田さんや花崎さんが気の毒になってきた」
浩介が半分冗談めかして言ったが、内心をそのまま言葉にしたようなところもあった。
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重成と詠美が浩介の部屋で説明した対策は、その週末の営業会議に諮られ、「宮里店競合対策」として会社としての正式な決定事項とされ、ただちに実行に移された。と言っても、すでにいろいろな調査が進み、各部はそれに沿って準備していたから、この段階では、主として具体的な特売計画を作る作業が始まったということである。
いつにもまして忙しい年末だったが、フジシロ本部内の人々の表情は明るかった。詠美は、週に一、二度、本部事務所に顔を出し、その都度、浩介のもとに立ち寄った。
年も押し詰まった大晦日、いままでのプログレスとの関係を締めくくる出来事があった。中央店2階、3階にあったプログレスの衣料品売り場がこの日を最後に撤退したのである。こともあろうに、フジシロ側から紹介した上町サイトを利用して、プログレスが突きつけてきた『共同出店を続けたいならフジシロに資本参加させろ』という理不尽な要求は、この日、両者の決別という形で終結したのである。
夕方、今年最後の買物客で賑わう、その衣料品売り場に、浩介が詠美とともにやってきた。
「本日は年末のお忙しいところ、当衣料品売り場にご来店いただき、まことにありがとうございます。長年にわたってご愛顧いただきましたが、当衣料品売り場は、本日をもって閉鎖させていただきます。代わりまして、明年5月、すぐお近くの上町に開店いたしますプログレス上町店の衣料品売り場として、再び皆様にお目にかかる予定であります。引き続きご愛顧のほど、お願い申し上げます」
プログレスから派遣されている店長の声である。まじめで善良な40代で、低音の店内放送が自慢らしい。浩介とは始終顔を合わせ親しく話をする間柄だったが、上町店のことがあってからは表面的にはともかく、双方ともうち解けることはなくなっていた。
「競合店の売り場を宣伝しているんだから、ひどい話だ」と浩介が呟いた。「プログレスは、こんなことを繰り返して大きくなってきたのだろう」
「本当に」と言った詠美の声が、少しくぐもったように聞こえた。浩介の視線をさけて背けた詠美の目に、涙が浮かんでいるのを浩介は見逃さなかった。騙されて消されたサト屋にまつわる何かを思い出しているのか。「流通革命とか、消費者主権とか言いながら、自分の利益拡大のために、人々を裏切り続けてきた会社です」
「それでも利益を出し、規模を拡大すれば人々は誉め称え、その結果ますます発展する。そこがゴルフとは大分違うところだなあ。ゴルフの場合、ゴマカシをやってもスコアさえよければいいというわけにはいかない。企業にも、マーカーが成績をアテストする仕組みが要る」
マーカーとはゴルフの同伴競技者のなかのスコア記録のことで、スコア内容を点検し間違いのないことを証明(アテスト)して署名することになっている。正式競技の場合には、各プレーヤーのマーカーが、競技開始に先だって指名される。
「それがコンプライアンシーということなのでしょうが、経営の世界のルールは、ゴルフほど単純明快ではありませんから、永遠にそういう理不尽はなくならないでしょう」
「だから、公正に戦って、絶対に競争に勝つのだ」
浩介は、改めて闘志をかき立てられているようだった。
今年(二〇〇七年)は、「京都議定書」採択一〇周年、「持続可能な発展」を謳(ルビ=うた)ったブルントラント委員会の報告書『我らが共通の未来』刊行二〇周年に当たる。そのせいかどうか、地球温暖化問題への関心が久々の高まりを見せている。一例を挙げれば、アル・ゴア前アメリカ副大統領が出演する映画「不都合な真実」(An Inconvenient Truth)が大ヒットし、同名の書籍もベストセラーとなっている。
また先般、安倍晋三総理と会談したドイツのアンゲラ・メルケル首相は「今年のサミットの主要議題のひとつに地球温暖化問題を取り上げる」と言った。これを受けて、帰国後、安倍総理は、若林正俊環境大臣に「環境立国戦略」の策定を命じた。
さらに、去る二月二日には、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第四次報告書が公表され、「人為的な(化石燃料の燃焼に伴う)二酸化炭素(CO2)の排出による、大気中のCO2濃度の上昇が地球温暖化の原因である」ことをほぼ断言した。これまでは「科学的知見が不十分である」ことを盾にして、排出削減に消極的な向きが少なくなかったが、CO2の「温室効果」を世界の科学者たちが一致して認めたのである。かくして、CO2の温室効果が文字どおり「不都合な真実」となったのである。
たしかに、ここ数年、気候がおかしくなった(従来の常識では考えられないような気候異変が頻発する)ことは、まぎれもない事実である。二〇〇五年八月末、メキシコ湾岸を急襲したハリケーン「カトリーナ」が瞬間最大風速八〇メートルという猛威をふるい、これまでハリケーン襲来の恐れの少なかった、したがって無防備だったニューオーリンズ市で多数の死者が出た。
日本でも二〇〇六年七月に島根県地方を豪雨が襲い、約一七〇戸の住宅が床上浸水に、約一〇〇〇戸が床下浸水に見舞われた。台風ならいざ知らず、七月に集中豪雨が襲来し、都市の河川が氾濫するなどといったことは、従来の常識では考えられなかったことである。新聞報道によると、島根県と松江市は八億五〇〇〇万円を投じて、都市型洪水への防災対策を講じるとのことである。
これまで、大気中のCO2濃度については五五〇ppmが危険水域だとされてきた。だが、この数字の根拠はきわめて薄弱であり、産業革命前のそれ、二八〇ppmを二倍して二捨三入した数字にすぎない。
京都議定書に否定的な論者は、現在のCO2濃度三八〇ppmは、危険水域をはるかに下回っているのだから、今後二〇〜三〇年間は、これまでどおり排出し続けても、せいぜい四〇〇ppmを多少上回る程度に過ぎない、したがって京都議定書のような「早期の対策(early actions)」に取り組むのは時期尚早であるという。
そして「ゆっくりした対策(delayed actions)」のほうが望ましいと主張する際の論拠には、次の二つがある。
第一に、CO2排出削減のためにいま一億ドルを投じるよりも、その資金を今後三〇年間、年利回り六%で運用して、六億ドルにしてから対策に取り組んだほうが経済的に得策だというもの。第二に、三〇年後にはCO2削減に格段の効果を持つ革新的技術が開発されているに違いないから、というもの。革新的技術の一例を挙げれば、火力発電所の煙突から出る煙よりCO2を分離・回収して、それを液状化し、地下または海底の帯水層に貯留するという「炭素隔離(carbon sequestration)」がある。
たしかに、以上の「ゆっくりした対策」のほうが望ましいとする説の論拠には一理あるが、それは、あくまでも危険水域が五五〇ppmであることが「真なり」を前提としての話である。
しかし、昨今における気候異変の頻発を目にすると、危険水域はもっと低いのではないかとさえ思えてくる。すでに述べたとおり、五五〇ppmという数字が根拠薄弱であることからすれば、「危険水域はそれよりもはるかに低いのでは」との懸念が拭えない。
地球温暖化とそれに由来する気候変動の結果、産業はウイナー(得する産業)とルーザー(損する産業)に分かれる。二〇〇六年末から二〇〇七年にかけての暖冬を例にとって考えてみよう。
暖冬は水道水の温度を上げるから、家庭・業務部門の都市ガスの需要は確実に減る。電力需要も減るだろうけれども、猛暑の夏には増えるから、差し引きゼロないしプラスと見てよい。スキー場は雪不足のためルーザーの最たるものであろう。逆に、二月一〇日から一二日にかけての三連休には大勢の観光客が冬の京都を訪れ、ホテルは満室、観光寺院は拝観客であふれかえった。京都のタクシー業界もまた潤った。風邪薬の売上が減った半面、花粉の飛散時期が早まり、花粉症の治療薬が早くから売れている。コンビニではアイスクリームがよく売れ、おでんの売上が減ったという(「日経新聞」二〇〇七年二月一六日朝刊)。
年間を通じて見ると、高温はコメの生育障害や害虫被害を引き起こし、トマト、ピーマン、キャベツといった野菜は夏秋の高温で育ちにくく腐りやすくなる。リンゴやミカンは現在の生産地が栽培に適さなくなる。だからといって、産地を北に移すことは国土の狭隘な日本では難しい。ブタやニワトリは「夏バテ」のせいで食欲が減退し、生産性が低下する。海水温の上昇によって、サンマ、イワシ、サバ、アジなどの漁場が北上し、漁獲量の減少が予想される(「朝日新聞」二〇〇七年二月三日朝刊)。
以上の結果としてもたらされる食品価格の高騰は家計を圧迫する。とはいえ、この国で餓死者が出ることはまずあり得まい。しかし、世界的な食糧価格の高騰のあおりを受けて、発展途上諸国では相当数の餓死者が出るものと予想される。
結局、地球温暖化と気候異変の影響は、先進国にではなく、発展途上国にしわ寄せされるのである。二一〇〇年に六〇センチメートルと予測される海面上昇の被害もまた、小島嶼国やバングラディシュなどの発展途上諸国に及ぶのだ。
こうした実情を踏まえれば、また「三〇%クラブ」という言葉があるように、京都議定書により温室効果ガス排出削減を義務付けられた先進諸国(アメリカとオーストラリアを除く)のCO2排出量が、世界全体のそれに占める割合が三〇%に過ぎないことからすれば、地球温暖化・気候異変は避けられない災禍である。
だとすれば、緩和策(CO2を中心とする温室効果ガス排出削減のための施策)のみならず、あるいはそれにも増して、適応策(気候変動の悪影響を回避するための施策)の検討・実施が喫緊の課題として求められる。
緩和策にせよ適応策にせよ、技術的な「策」と社会経済的な「策」とがある。ここでは、社会経済的な「策」に限って論ずることにしよう。
社会経済的な「緩和策」の代表例は環境税(炭素税)である。日本では環境税導入の是非、功罪についての議論は依然として平行線をたどったままだが、第一約束期間(温室効果ガスの排出削減に関して京都議定書が定める第一段階の目標期間である二〇〇八年から二〇一二年)内の導入は絶望的といわざるを得まい。自動車の燃費効率に応じて保有税を付加・軽減し、燃費効率の良い乗用車の普及を促すという税制改革にも反対論が根強い。要するに、CO2の排出を市場に内部化し、「努力するものが報われる」という市場原理にのっとった緩和策は、どうやら「横並び」を好む日本人の性分に合わないらしい。
では、社会経済的な「適応策」としては、どのようなものが考えられるのだろうか。いくつかの案を挙げておきたい。
第一に、気候異変に伴うリスクまたは損失を回避するための金融的措置としては、天候デリバティブ(金融派生商品)や損害保険などがある。最もわかりやすい天候デリバティブの例をひとつ紹介しよう。ここに○○電力と××ガスの二社があるとする。夏が猛暑であれば、○○電力の売上高は平年比で確実に増える。他方、××ガスの売上高は確実に減少する。逆に、冷夏であれば、○○電力の売上高は平年比で確実に減少するが、××ガスの売上高は確実に増える。気候のいかんは不確実(予測不可能)である。そこで、気候による売上高の変動に備えて、両社の間で次のような契約を結ぶ。猛暑であれば電力会社からガス会社に売上高の△%を移転し、逆に冷夏であれば、ガス会社から電力会社への移転を実施する、と。これが天候デリバティブの一例である。
適応策の第二は、国際適応基金を創設し、気候変動に由来する危機にさらされている途上諸国への金融支援を実施することだ。基金の財源としては、国際的な環境税を導入し、その税収を充当するのが一案。また、クリーン開発メカニズム(CDM:先進国政府または企業が途上国に投資して温室効果ガス削減に寄与した場合、その削減分を先進国の削減分にカウントする仕組み)で得られる炭素クレジット(先進国が入手する削減分=排出権)の数%を基金に上納させるのも一案だろう。後者のほうが実現性は高い。
第三の適応策は、都市型洪水に備えて都市を流れる河川や運河に洪水防止の措置を講じることだ。既存技術で充分可能だから、行政当局が費用対効果に配慮しつつ、また要した費用と復旧に要する費用とを対比させ、税金を使っての適応策の実施を納税者である住民に納得させることが肝心である。
第四の適応策は、食糧不足や水不足に適応するために、食糧や水の国際的な支援体制を構築することだ。水の過剰な地域から不足する地域への給水システムを予め整えておくことが、水不足への適応策である。
最後に断っておかねばならないのは次の点である。「緩和策よりも適応策を」というメッセージを「緩和策は焼け石に水だ」と誤解してはならない。あくまでも緩和策の徹底こそが気候変動対策の基本である。そのことを忘れてはならない。
優しくなるために強くなる。
強くいるために優しくなる。
▼「格差社会」という言葉を毎日のように耳にします。この「格差」を引き起こしたのは、「構造改革」の美名の下、あらゆるところに持ち込まれてきた「市場原理主義」「自由競争」であることは、誰の目にも明らかです。規制緩和のすべてを否定するつもりはありませんが、行き過ぎた「自由競争」の弊害が出てきていることは確かでしょう。
規制を撤廃して競争力を高めなければならない。生産性の高い産業の負担で、生産性の低い産業が支えられているのはおかしい−−−。構造改革派の経済学者を中心に、こうした主張がもてはやされ、日本社会は大きく変わってきました。
弱肉強食の自由競争社会になれば、たとえ機会の平等が確保されていても(実際は機会の平等など存在しませんが)、大きな経済的格差が生じるのは当然です。にもかかわらず、私たちは「改革」を掲げた小泉政権を熱烈に支持しました。その高い支持率を背景に、新自由主義的な金持ち優遇政策が強力に押し進められました。
つまり、現在の「格差社会」は、私たち自身の政治的な選択の結果であり、決して他の誰かに押しつけられたものではないのです。
自身を含めた誰もが競争に敗れ、社会的弱者に陥ってしまう可能性があることを、私たちはどこまで認識していたでしょうか。「淘汰されるべき」とされた産業、企業にも、同じ人間が真面目に働き、日々の生活を営んでいることを、どこまで想像できていたでしょうか。これは、構造改革を唱える学者たちの論説を商品として送り出していたメディアの一員としての反省でもあります。
そういえば、最近知り合ったあるコンサルティング会社の役員は、大学の同期生だということが判明しました。同じ時期に同じ大学で学び、また同じ時に卒業したにもかかわらず、ここにも厳然たる格差が存在していました…。(笠井)
▼「第4回ダイヤモンド経済小説大賞」の作品募集が1月末で締め切られました。ただいま第一次選考の真っ只中。書籍編集長・副編集長など社内の選考担当が、手分けして読んでいるところです。かく言う私もその一人なのですが、この選考作業というのがなかなかにしんどい。決して少なくない担当作品を、会社の机で昼飯を食べながら、あるいは夜中に布団の中で、一心不乱に読まなくては選考締め切りまでに追いつかない。どれも一生懸命書かれた力作なので、読み飛ばすわけにもいかず、おまけに人一倍読むのが遅いと来ているので大変。さらに、どれを2次選考に上げるかどうかでまた悩む。年一度のイベントですが、これはこれでやり甲斐反面、憂鬱な作業でもあるのです。
それはさておき、大賞決定は5月末。秋には書籍化される予定です。今年もどんな秀作が世に出るのか。ぜひ楽しみにお待ちください。(田上)
「Kei」では、経済・経営に関する論文の投稿を受け付けております。字数は1000〜4000字。受け付けは電子メールのみです。冒頭に概要、氏名、略歴、住所、電話番号、電子メール・アドレスを添えてください。採否についてのお問い合わせには応じられません。採用の場合は編集室より電子メールでご連絡します。受け付けのアドレスは以下のとおり。
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